誕生日に兎のぬいぐるみを贈って暫くすると、りいらは色々一人で行動できるようになった。一抱えもある大きさのぬいぐるみを抱え、それを抱く事で心を落ち着けるらしい。
都子の知らない友人を作ったり、放課後に一人で遊びに出たりもする。
良かった、と胸を撫で下ろしつつ寂しい思いがあるのは否めない。
いつまでも自分の後ろについて頼ってくれるのを望んでいるわけではないのだけれど……。
それに、都子にも自由な時間が必要だ。しばらくりいらにつきっきりだったあの期間は非常に苦しいものだった。肉体活動の限界、という意味で。
片時も離れたがらない少女を宥め、労わり、許す限りの時間を共に過ごした。自分にとってもそれは楽しく幸福な時間であったが、徐々に募る血への欲望を自覚した時の衝撃は筆舌に尽くしがたい。
自分の生態はそれなりに正しく理解してきたつもりだったしそれに対する折り合いもつけたと思っていた。
それなのに、予定からほんの数日補給が遅れただけでもう自分が血に飢えるという事実も、「血が欲しい」と自覚した瞬間自らに芽生えた気の遠くなるような嫌悪感もその時初めて知ったのだ。
これまで特に深い感慨もなく行ってきた例の捕食行為がこんなにも己の本質、深い部分に根付いたものだったとは。この血の欲求に負けた時に自分はヴァンパイアになるのだと思い知り、底知れぬ恐怖を覚えたと言っても良い。
一生、一生だ。
死ぬまで自分は血を啜っていかなくてはならないのだ。
食事をする、睡眠をとる、それと同列に血を啜って生きていくのだ。
ぶるり、と震わせた肩に指を当てて支える。あの時の感情を思い出すと今でもこうなる。感情を内側に閉じ込めるのに長けた都子には珍しい。
あの時は傍に居たりいらに非常に気遣われたものだ。
「どうしたの?」と顔を覗き込んだりいらの瞳には不安が揺れていた。あんな顔をさせてしまったのは偏に自分の未熟さが故である、と都子は思っている。
もう二度とあんな失態は犯すまい。りいらが安心して頼り、甘え、やがて巣立っていくことが出来るように自分はいつでもしっかりしていなくてはならない。
強く手を握り締めて都子は目の前の薄暗い路地を見つめる。日の傾き始めた琥珀色の空。ほんの数分で琥珀は藍に、やがて黒へと変わるだろう。
りいらは今日は寄り道をしてくると言っていた。だから、都子にも十分な時間がある。上手く事が運べば二、三人分の血を手に入れる事が出来るだろう。
長い黒髪に櫛を入れて艶やかに光を放つように整えて何時もの微笑みを貼り付ける。なるべく柄の悪そうな、こちらの心が痛まないような相手が良い。
いいや、そんなのは唯の欺瞞である。例え死刑囚が相手だったとしても無断でその首から生命力を掠め取るような真似をすれば都子は罪悪感を覚えるだろう。
それでも、自分の生存には変えられない。妁滅者として動くことが出来なければ大切な妹を守ることは出来ないのだから。
「痛くないように、負担にならないように、しますから。ほんの少しだけ……私に命を分けて下さいね」
体を密着させて首元に唇を寄せる時に相手の耳に都子は囁きを送る。そこで許可を得るにしろ拒絶されるにしろ、どうせ相手の記憶は消えてしまうのだから本当は意味のない行為なのだけれど。
許されていたいのだろうか? 解らない。
黒髪をなびかせて路地から出る時、都子の衣服にも表情にも、一切乱れはない。帰宅してりいらを出迎える時も都子には何の変化もないだろう。だから、獲物の首筋から唇を離した都子が強く眉根を寄せて苦痛に耐える様な表情をしていると知っている人間は居ない。
それで良いと思う。辛くても楽しくても気持ち悪くても気持ち良くても、都子が何を感じて何を思おうと生きている限りこれは必要な行為なのだから。
スカートの襞からハンカチを取り出して口元を拭い終わると、都子の顔はもう何時も通りの柔和な笑みに覆われていた。